自分の嗜好
自分の主観的な好みを大切にするのは素敵なこと。
わたしは小さい頃は、主観的な嗜好は悪だと思っていました。可愛い文房具が欲しいとか、流行のデザインのパーカーが欲しいとか。そういう、実用的ではないものを欲しがることは良くないことだと思っていました。
そういう嗜好を大切にしないとどうなるでしょうか。自分の好きじゃないものが自分の周りを取り囲むんです。選んでいないから、選別を経ないものがたくさん集まります。
どこかで選択をしないと、自分の望むものを自分の周りに置くことはできない。そして、その選択の根拠に自分の主観を置くことは何も恥ずかしいことではありません。
だって、客観的なことというのは実は不変ではないからです。日本が第二次世界大戦で周辺国に与えた影響をよいものだったとする人と、悪いものだったとする人がいます。同じ事実があるのに、どの事実に注目するかでストーリーの組み立て方が違ってくるんです。
いまは、「なんだかうきうきする」とか、「気がすすまない」というだけの理由で物事を決めることも多いです。そして、それを悪いことだと思っていません。前より正直になれたと喜んでいます。