起業をめざす真知子のブログ

これから起業やフリーランスになることを考えている人や、既に起業したりフリーランスになった人に反応をいただけたらすごく嬉しいです!仲間が増えるとやる気が出ます。

人は何によって動く?

人は論理では動かない。


わたしは以前、人は論理によって動くのだと思っていました。論理的にしっかりしている主張こそ、みなを納得させ、協力してもらえるのだと思っていました。

会社に入社して1年目のころ、先輩に「プレゼンテーションzen」という本を教えてもらいました。その本では、プレゼンテーションは聴衆が納得してくれるように説得するのではなく、共感してくれるようにうったえかけるのだと述べられていました。

頭でわかっていても、気がすすまない場面というのはたくさんあります。そういう時って、納得はしていても共感はしていないんです。共感していれば自分が動こうとするスタンバイはできています。納得だけでは、正しいことはわかっているけど自分がやる必要性は見いだせていないんです。

そして、論理で納得させようとすると、聴衆は納得させられまいとふんばります。どこか論理破綻がないか探します。いわば、敵同士の関係になってしまうのです。

一方で、共感してもらえれば、聴衆は自分の味方になります。自分のプレゼンテーション内容に足りない部分があったら一緒に何が足りないのか考えてくれます。一緒に同じ方向を向くことができるんです。

共感というキーワードを大切に生きましょう。敵ではなく、味方を増やすやり方を自分のものにしましょう。

発信しなきゃ何も始まらない

「『仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです』『人間関係で失敗しませんでした。人の話に入らなかったからです』。彼の人生は完全で、そして最悪だった。」―――アルフレッド・アドラー


わたしは以前は失言を恐れ、なかなかうまく話せませんでした。何か間違ったことを言うと、後で困ったことになると思いました。だから考えて考えて、何も言えなかった。

何も言わないと、それって何も思っていないことと一緒になります。わたし以外の人にはわたしが一生懸命いろいろ考えていることなんて伝わりません。だって何も言っていないのだから。

何も考えていない人は、いないことと同じです。考えるゆえに、わたしたちは人間なのですから。何も言わない人は、そこにいないことと同じになってしまいます。

自分がこの場所にいることを知らしめるために、もっともっと発信しましょう。発信し合って、人間らしいやりとりをしましょう。そうして、よいほうに変わっていきましょう。

自分が頑張る原動力

わたしが頑張る原動力は、「妹にかっこいい姿を見せたい」という思いです。


わたしには2歳下の妹がいます。わたしは生まれてから大学2年で一人暮らしを始めるときまで、ずっと妹と一緒でした。

妹は小さい頃から運動と早起きが得意で、友達がたくさんいました。わたしには食べられなかったチョコレートも食べることができました。

いっぽうでわたしは、勉強ができたし手先が器用だったけれど、妹が得意なことはどれも苦手でした。わたしは自分にはできないことがいろいろできる妹に対して敬意をはらっていました。

そんな妹ですが、やっぱり2年年上なので2年分わたしのほうが知識や経験で上回っている部分もあり、そういうときに妹にわたしの知っていることを共有するととても喜んでくれました。妹が納得してくれたり、前向きな行動に向かったりすると、わたしはすごく報われた気持ちになりました。

妹にとってかっこいい姉でありたいという気持ちは、今でもずっともっています。わたしが迷ったときの判断の根底には、「この判断をして、かっこいい姉でいつづけられるのか?」という問いがあったことに気がつきました。妹と自分の関わりをもっと自覚していくことで、もっともっとわたしにはわかることがありそうです。

自分の嗜好

自分の主観的な好みを大切にするのは素敵なこと。


わたしは小さい頃は、主観的な嗜好は悪だと思っていました。可愛い文房具が欲しいとか、流行のデザインのパーカーが欲しいとか。そういう、実用的ではないものを欲しがることは良くないことだと思っていました。

そういう嗜好を大切にしないとどうなるでしょうか。自分の好きじゃないものが自分の周りを取り囲むんです。選んでいないから、選別を経ないものがたくさん集まります。

どこかで選択をしないと、自分の望むものを自分の周りに置くことはできない。そして、その選択の根拠に自分の主観を置くことは何も恥ずかしいことではありません。

だって、客観的なことというのは実は不変ではないからです。日本が第二次世界大戦で周辺国に与えた影響をよいものだったとする人と、悪いものだったとする人がいます。同じ事実があるのに、どの事実に注目するかでストーリーの組み立て方が違ってくるんです。

いまは、「なんだかうきうきする」とか、「気がすすまない」というだけの理由で物事を決めることも多いです。そして、それを悪いことだと思っていません。前より正直になれたと喜んでいます。

恥ずかしい

恥ずかしい気持ちはもっているけど、恥ずかしがってばかりじゃ世界は自己完結してしまう。

わたしは見栄っ張りなところがあって、たとえば将来起業したいと思うとき、そのこと自体を周りの人になかなか言えませんでした。否定されるのが怖いから。否定されなかったとしても、「あんな青臭いこと言って、恥ずかしいやつ」と思われることを恐れました。

だまって、準備して、形になってから言うのがかっこいいと思っていました。

でも、そうすると形にできないんですよね。すごく時間がかかったり、独りよがりになったりします。だって、人に言って、反応をもらっていないから。反応をもらっていないから、新しい視点に気づくこともなく、自分以外の人の多くが魅力的だと感じる要素なのによかれと思って排除してしまったりする。

人に言って、反応をもらって、自己完結しない世界で頑張りたいです。発信して、受信して、というやりとりを大切にしたいです。

しゃけの南蛮漬け

1.しょうゆ、酢、砂糖をおおよそ1:1:1の割合でまぜ、薄切りにした玉ねぎを入れます。

2.鮭の切り身を繊維を切るように1cmくらいの厚さで薄切りにします。

3.片栗粉を薄くつけ、油で揚げます。

4.1で作ったつゆに揚げた鮭を入れます。

5.冷蔵庫に入れて冷やし、たまにスプーンでひっくり返して全体がつゆにつかるようにします。

できあがり!

誰が言ったかフィルター

わたしはしばしば、発言そのものではなく発言者をもとにその発言の重要さを判断します。

自分が尊敬できる人やわたしもこうなりたいと思った人がいたら、ひとまずおすすめの本を尋ねます。そうして教えてもらった本を読む理由は、ただひとつ、「その人がすすめるから」です。わたしにとってのその人のブランドが大きいということなんですね。本は大抵おもしろく、わたしは自分の人を見る目を再確認して悦に入ります。本がおもしろくなかった場合でも、「おもしろく感じないのはわたしのレベルがたりないせいだ」と考えてしばらくふんばります。

だれが言ったかを重視するのは人が当然のようにもっている考え方です。だからブランドや信頼が生まれます。。

しかしこのフィルターにより、大事なものを見のがす恐れも発生します。自分と考え方が合わないひとでも、自分にとって有益な情報をくれるかもしれません。いや、自分と考え方が合わないひとこそ、有益な情報をくれるのだと思います。

情報の価値を構成する要素のひとつは、情報の守備範囲の差によって生じます。自分の知っている情報は教えてもらう必要はありません。もう知っています。でもその中に自分の知らない要素があれば、その情報は自分にとって価値があります。さらに、自分のまったく知らないことは、自分にとってさらに価値がある可能性があるのです。

誰が言ったかフィルターをときに意識してはずし、自分にとって有益な情報を手に入れましょう。視野を広げましょう。